gajumaru~義足の生活~ブログ

片足ながらも夢は追い続ける!

右大腿の半分を失い4か月の入院後
義足(ルーシー)を装着しリハビリ中・・・
日々、ルーシーとの戦い

気持ちの整理

結局、義姉から連絡はなかった。


何時亡くなってたのか


死因は何だったのか


通夜、葬儀はどうなるのか・・・


13日の朝から待ってたけど、母と相談して香典を送ることにした


14日の夜にいとこのお姉ちゃんに連絡をした。


急な事で何を言ってるのかわからなかったと、言われたが香典を頼まれた。


香典を用意し、手紙も添えた。


「突然の訃報に詳細がわからないまま 時がとまってます。
 兄の冥福を祈るとともに、皆様方もご自愛下さいますよう。
 香典返しは辞退します。」


これが精一杯だった。


15日の朝に香典を送った。


昼から仕事だったので仕事の準備をしながら、ふと


最後のメールをしてみようと


兄貴へ
今頃は天国ですか?
今日は、兄貴の香典をおくりました。
タバコと干物とお酒でも買ってね。
兄貴が仕事を辞めて、お義姉さんがヘルパーのをしながら支えてくれた事を話すと
母が「迷惑かけたんやなぁ」と言ってましたよ。
親より先に行くなんてね・・・
お兄ちゃん、いつもありがとう!
また会える日を楽しみにしてます。


母のことをいつも気にかけてたのに、拒否されてて


でも、やっぱり親だったよ。


和解の策はこれしかなかったのかと悔やむけど、少しほっとした。


いとこにも連絡したし、香典も送ったし、母の言葉も兄貴に送ったし


何とか踏ん切りもつけれそうだと、仕事へ行った。


気が付くと4時前にメールが来てた。


「あまりに急なことで 悔やまれるばかりです
 大事な人を送ってしまって申し訳ありません」


義姉からだった。


義姉も子供たちも突然で受け入れられなかったんだな、と。


でも誰かメールでもして欲しかったな・・・が正直な気持ち。


前回、ブログに自分の気持ちを書いて少し楽になって


友達にもlineで知らせることも出来た。


毎晩、おっさんに気持ちを吐き出してたけど


やっぱり平常心にはなれなかったので、活字にすることで


自分の気持ちも色んな角度で考えられるようになり


今は、母とも兄貴の話も出来たし


今年の誕生日も祝えたし(^^♪


ずっと昔のままの兄貴の姿しか残らないし、ある意味羨ましい(笑)


生きてても会えなかったかもしれないしね。


最後を見届けてたらもっと沈んでたかも?とか。


1つだけ


あたしの誕生日にメールが来なくなること、


台風や、地震で和歌山のワードを知った時に心配するメール。


ここは少し時間がかかるかも知れんけど


兄貴の分まで人生を楽しむわ(*^^)v


今日、孫っち③が


ずっとあたしの横で歌を歌ってた。


同じところを何回も・・・そこしか知らんみたい(笑)


でも何回も聞いてると良い歌やんと


孫っち③に


その歌って何ていう歌?って聞くと


「にじのうた」と言うのでYouTubeで検索


童謡ってのに驚いた(汗)


カラフルパレットの「にじ」を流すと


「これじゃない・・・ん?あ!これや」って


やっぱサビに来んとわからんかったみたい(笑)


孫っち③がループしてたサビが


「にじが空にかかって きみのきみの 気分もはれて きっと明日はいい天気」


今日は耳にタコが出来るほど、近くで歌ってくれたから


孫っちにも感謝


ありがとう、もう元気やで(*^-^*)

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